『橋梁』(ネーム) 第8回ネーム大賞投稿作品

 

 

 

 

第8回ネーム大賞に投稿したネームです。Pixivでも見れます

光人社文庫から出ている斎藤政治『烈兵団インパール戦記』にインスパイアされた作品です。

よろしくお願いします。

 

 

 

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他にも2作品ネーム大賞に投稿しております。

こちらもぜひご覧ください。

 

 

『嗚呼人生男節』

最底辺ブルージー青春まんが

 

 

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http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=56351941

 

 

 

 

『廃老』

鬼シビアマニアックモード老後まんが

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『ぼくのかんがえた貞子vs伽倻子』(ネーム)

 

 

 

映画『貞子vs伽倻子』を公開初日(6/18)の初回に鑑賞し、その日のうちに書き始めたネームです。

 

※直接的なネタバレはありませんが、あくまで映画の内容に準拠して書いたネームなので

未見の方はご遠慮ください。(全144p)

 

 

 

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以下分割してpixivにアップロードしたものです。

 

ぼくのかんがえた貞子vs伽倻子①

  http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=57556074

 

 

ぼくのかんがえた貞子vs伽倻子②

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=57556189

 

 

ぼくのかんがえた貞子vs伽倻子③

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=57556292

 

 

 

 

 

 

 

Blaney featuring Mark E. Smith 『Urban Nature』 レビュー

 

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去る5月27日、The Fallの元バンドメンバー、ツアーマネージャー、ボーカルMark E. Smith氏の10年来の親友、Ed Blaney氏の初となる本格ソロプロジェクト、”Blaney”の1stアルバム『Urban Nature』が上梓されました。Ed BlaneyとMES氏のコラボレーション作品としては2009年にリリースされたThe Fall’s Mark E. Smith & Ed Blaney名義の怪作、『The Train Part Three』以来7年ぶりとなる音源リリースであり、featuring形式ではあるもののEd Blaney氏がソロ、あるいはバンドリーダーとしてまとまったアルバムを作るのは生涯初ということで、3月にBlaney氏がオフィシャルHPを開設、予約取りを開始した段階でLP盤を予約、その動向を日々ウォッチさせていただいておりました。

国内Amazonでは発売日をイギリスからの郵送時間を加味してか6月3日に繰り下げたあげく、CD/LPとも現在「一時的に在庫切れ」となっているという凄惨な状況ですが(予約0か?)、そんなことは些細な問題です。国内での知名度は誰も知らない深海魚より少し低いくらいのBlaney氏ですが、The FallファンにとってはThe Fallのある時期を支えた偉大なるバンドメンバーであり、偉大な「Rude (All The Time)」を作曲した作曲者なのです。そしてその曲のオリジナルバージョンが収録されるとなっては、いったい誰がこのアルバムを買わないというのでしょうか?

 

アルバムは全10曲、先述のようにfeaturing Mark E. Smith名義になっている通り、半数の曲でMES氏もボーカルで参加しているものの、全ての曲が完全にEd Blaney氏の主導で録音されており、Jenny Shuttleworth嬢(後述)のボーカル曲もあったりと、完全なソロアルバムというよりは、氏の周りにいるミュージシャンを集めて、彼らと自分全ての紹介になるようなコンピレーションアルバムをBlaneyという名前で録音した、というタイプのアルバムです。ものすごく広げて言うとバングラデシュコンサートと一緒ですね。(違
参加メンバーはThe FallやEd Blaneyを知れば知るほど「おお!」となるような、Blaney氏周辺の人物だけを完全にコンパイルしたかのような顔ぶれで、一部のメンバーはThe Fallで共に演奏していた経験もある人物の為、曲によっては完全にThe Fallの同窓会が成立しているものもあります。まずはそのメンツから詳しく見ていきましょう。

 

 

 

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ぐりとぐらばりに友達

 

 

そもそも、このEd Blaneyとは何者なのか?
もうすでにここまで読んでくださった方がいるのか怪しいくらいですが、それでもついてきてくださっている方がいるならばきっとその脳裏には大きな「?」が浮かんでいることでしょう。なのでまずざっとEd Blaney氏とMark E. Smith氏(Mark Edward SmithだからMark E. Smith、通称MES)、及びThe Fallとの関係について概述させていただきます。2人の関係は95年にBlaney氏が自身の地元、出身地サルフォードでロックバンド、Trigger Happyを結成したことから始まります。サルフォードなんてあまり聞かない地名ですが、実は90年代初頭に散々日本でも騒がれた”マンチェスター・ムーブメント”の、マンチェスターの近郊に当たる都市で、実はMES氏もこの地域の出身者です。バンドはEd Blaney氏を筆頭に楽器の何でもできるJim Watts氏、Tim Scott氏、Dave Milnerの4人で結成され、バンドはブリットポップ真っ只中の当時としては珍しいポジパンとガレージロックを合わせたような、「もうちょっといけばBlink 802」みたいな音楽を演奏していました。本当なのかどうかはわかりませんが、ネットに上がっていたBlaney氏のインタビューによると、バンドが97年に1000枚限定にして唯一のシングル『The Lot’s Gone』をリリースした際には、BBC Radio 1(John Peelとかがいたところ)のDJもその収録曲に注目したと言われています(あくまで本人の談なので、信用できるかは微妙なところですが)。そしてその間のどこかの瞬間に、どこかのパブでばったり出くわしたのか、Blaney氏はMES氏と出会い、以来現在までに至る10数年の親交が始まります。MES氏自体人付き合いに対して非常にセンシティブな人なので、彼らの親交がこれまでの長きにわたって続いているのは、単に地元出身でウマが合うというだけでなく、Blaney氏のフレンドリーで飾らない人柄によるところもあるのでしょう(階級も同じ労働者階級です)。ともかくBlaney氏とMES氏は仲良くなり、99年、『TV』という1stアルバムのリリースを予定していたTrigger HappyはThe Fallのツアーの前座に抜擢されます。当時The Fallは崩壊寸前と言っても良く、ギリギリとしか言いようがないバンド運営が続いていたらしいのですが、12時間後にアイルランドのダブリンにツアーの飛行機が出るということになったある日、バンドのメンバーが数人それをボイコットしてしまうという事件が起きます(つまり脱退)。急なことで今更飛行機をキャンセルすることも、メンバーを募集して選ぶことも不可能になってしまったMES氏はBlaney氏に直談判し、2人は当面の間、ツアーが終わるまでは欠員の出たメンバーの補充をTrigger Happyのメンバーからまかなうことを決めます。前座は中止。ツアーは続行。その時はそれしか方法がなかった、としか言いようがない取り決めではありますが、The Fallとして演奏してみたことが思ったよりしっくりきたのか、Trigger HappyはそのままバンドごとThe FallとしてThe Fallに吸収されてしまい、解散なのか何とも名づけようのない顛末で消滅、Tim Scott氏を除いたEd Blaney、Jim Watts、Dave Milnerの3人はそれからおおよそ数年間、2004年頃までMES氏と活動を共にしたのでした。

 

 

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The FallとEd氏(Salford Music Festival)の関係性を完全に表現した1枚

 

 

その後Blaney氏はマネジメントの仕事を続けながら、サルフォードを拠点に音楽フェスティバル(Salford Music Festival)を7年にわたって開催したり、ソロでの演奏や、SHOSHINというバンドのプロデュース(マネジメント)、Trigger Happyの元メンバーと結成したRedStars、David Bowieのカバー企画Ultimate Bowie、Jenny Shuttleworthという女性シンガーをfeaturingしたGirl Peculiarなど様々な活動を繰り広げていき、以前同様The Fallの前座をつとめる等、常にThe Fallという母なる星の周囲を旋回する人工衛星、あるいは宇宙ゴミとして活動を続けてきました。その”音楽をやる際には、絶対にThe Fallを巻き込む'”ことに信念を持っているかのような、MES氏との交友関係を全力で自分の利益に還元していく姿勢は(真っ当なことだと思いますが)、バンド結成当初からThe Fallを支持しているような年配の中流階級のファンからは忌み嫌われ、労働者階級のゴミが俺たちの神聖なMarkにたかってやがる、ぐらいにみなされているのですが(驚くべきことにこのBlaneyのお披露目ライブもThe Fallの前座でした)、一方でそのDIY精神溢れるマネジメント活動や地元サルフォード-労働者階級の街-に音楽フェスティバルを根付かせた功績は同市の多くの市民から評価されており、今作のリリースに際しても多くの地元メディアから取材に訪れるなど、地元サルフォードの音楽シーンではすでに名士的な立ち位置の人物でもあります。そしてそんなBlaney氏が今年に入ってからついに自身のレーベルYerrrr Productionsをスタートさせ、先述のGirl Peculiarのシングルと、自身の娘Bianca Blaneyのシングルという「それが第一弾、第二弾でいいの?」みたいな音源をリリースしたのち、満を持してリリースしたのがこの『Urban Nature』(カタログナンバー「YERRRR003」)なのです。

 

 

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『Urban Nature』Launch Partyより(左からBianca, Jenny, Ed,Jim,Gary,Ric)

 

 

それではいよいよ参加メンバーを見ていきましょう。『Urban Nature』にBlaney氏と関わる多くの人物が参加しているということは上にも書いた通りですが、録音時の参加ミュージシャン(全部で14名)の他に、Facebookの基本データによるとライブ出演時の固定メンバーとして、以下の人物の名前が挙げられています。まずはこのメンバーから1人ずつ見ていきましょう。

 

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このうちJim Watts氏は上述のTrigger Happy以来の同僚であり、自身でもUglyRadioというバンドを率いていた(いる?)過去があります。マルチプレイヤーであり、The Fallでのポジションはベースだったのですが、ここではキーボードやギターも演奏しています。他の2人、Gary LewisとRic Gibbs(録音ではドラム、ライブではベース)は新顔で、どこにも情報がなかったのですが、Ric Gibbs氏についてはLP盤をよくよく調べるとジャケットの後ろに「Design: ricgibbs.com」という表記があり、調べたところどうもサルフォードに関わりのあるグラフィックデザイナーの方で、BlaneyのHPや、Yerrrr、Salford Music FestivalのHP、Fall.xyz(一昨年くらいにBlaney氏が突如立ち上げたThe Fallの「公式」HP)も全部この方のデザインになるようです。おそらく、仕事仲間プラス楽器が出来るから、みたいな理由で参加が決定したものと思われます。(ちなみに本作のジャケットはDJB PhotographyのDanny Blaney氏が撮影、つまり息子さんの仕事です)

 

 

 

Gary Lewis氏に至ってはアルバムのクレジットにも名前がなく、全くどこの誰だかわからないのですが、Ed Blaney氏の友達リストに同名の人物を見つけたので、おそらくこの人ではないかと思います。詳細については今某所に問い合わせを送っていますが、今の所返信がありません(何故送るのか…)。こちらのGary氏は友達からはYodaとあだ名されており、BlaneyのフェイスブックではGary Lewis氏が”Mr.Yod”として紹介されていたので、まず間違いないとは思います。ただ本当に何をしている人なのかは全くわかりません。お子さんが1人いるみたいです。

 

 

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Jenny Shuttleworth嬢については上でもGirl Peculiarという名前で活動をしていることを書きましたが、活動としては非常に散発的なようで、彼女についてはどちらかというと2010年のサッカーW杯の際、予算の都合でイギリスの応援歌が製作されないことが決まった時に、それじゃあ俺たちが勝手に作って歌うわ!というノリでMES氏、Ed Blaneyの2人と組んで作ったこの曲の方が知られています。これも多分言い出しっぺはBlaney氏です。ユニット名もShuttleworthと簡潔に自身の姓をつけていて、曲調も一切The Fallの要素がなく、歌詞の内容も完全に応援歌という珍しい曲なのですが、MES氏自身コテコテのサッカーファン、なんといってもマンチェスターと言えば誰でも知っているあのチームの地元出身ですから、そのサッカー愛はリアルガチ・オブ・ザ・リアルガチなのでしょう。どこかグラスゴー界隈のギターポップをすら思わせる爽快感溢れる曲調で、Youtubeの再生回数を確認するに、Blaney氏の最も成功した楽曲の1つではないかと思われます。(なお、この曲のPVでドラムを叩いているやたらかっこいい女性はPV撮影時にそこらへんにいた素人ではなくSophie Labreyというれっきとしたドラマーで、今作でも5曲でドラムを叩いています。)

 

 

 

このように非常に豪華なメンツ(イツメンとも言う。)で結成されたBlaneyですが、アルバムのレコーディングにはさらに(The Fall的な意味で)豪華なメンツが参加しています。調べてみるとほぼ全員サルフォード在住というあたりがすごいです。少なくともマンチェスターの外に住んでいると確認できた人はいません。こういう地元ファミリー感がアルバムの空気感的な完成度に非常に寄与していると思います。LPの内スリーヴのクレジット、およびdiscogsのページ(昨日作った)から引用するとメンバーはざっとこんな感じです。

 

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この中でThe Fallの元メンバーはBlaney氏を入れて4人もいます。このうち先述のJim Watts、Dave Milnerが元Trigger Happy〜そのままThe Fall隊で、Tim Scott(David Scottはたぶんこの人の親族か何か)氏もTrigger Happyの元メンバーでこそあるのですが、The Fallへの参加は確認できませんでした。バンド消滅時にそのまま離脱したものと思われます。1曲だけベースを弾いているSimon ‘Dingo’ Archer氏も元The Fallのメンバーで、この人はなんと今’Ding’という名前でThe Pixies(どこかの片田舎の同名バンドではなく、あの)のスタジオ・レコーディングでベースを弾いたり、PJ Harveyと世界ツアーを回ったりしている強者で、参加すると有名になれないというジンクスのあるThe Fallの元メンバーの中では例外的に出世しているミュージシャンです。The Fallの近作にも裏方で参加するなど、アメリカとイギリスを股にかけてマルチに活動しており、このレコーディングもおそらくThe Fallのレコーディングと同じ日程で録り貯めしたものか、メールで録ったデータを送ったりしての参加なのだと思われます。David ScottとJessica Pageについては確定的な情報に行き着くことができなかったのですが、フェイスブックという文明の利器が僕に示すところによると残りの2人、David Holmes氏についてはマンチェスター・メトロポリタン大学(どこ?)の心理学の教授で自身もFlicker Roadというグループを率いているミュージシャンだということが判明(The Fall関連の知り合いも多い)、Angela Chanはサルフォードをベースに活動するアジア系の女性ミュージシャン、ということがわかりました。この方は本当に呼ばれて弦楽器をサクッと弾きましたみたいな、スタジオミュージシャンの方なのだと思います。

 

ほとんど情報が出ない人達が集まって作ったアルバムだ、ということがわかったところで、いよいよ内容について書いていきたいと思います。感想についてはこのページが読み込みに30分かかるくらいのいろんな言葉で埋め尽くすことも可能ではありますが、さすがに僕もこんなアルバムに誰も興味がないことぐらいはわかるので、ここはサクッとまとめて終わりたいと思います。というより僕はきっと将来自分がこのアルバムの存在を忘れた時のためにこのブログを書いているのでしょう。ここまで書けばきっと全てを思い出せるはずです。では収録曲を見ていきましょう。

 

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収録時間についてはLPのスリーブに時間が書いていなかったのでネットの情報になりますが、33分という数字が某所であげられています。体感時間もちょうどそんな感じです。短いといえば短い時間なのですが、10曲で1曲3分ほどと考えればコンパクトにまとまった、ちょうど良いサイズのアルバムと言えるのではないでしょうか。(それでも1曲その長さならもう2曲くらい増せよという感じにはなりますが..)上のリストでEd Blaneyの単名になっているものは彼がメインで歌っており、MES氏の名前が見られるものはMES氏がメインボーカルだったり、Blaney氏とのデュエット的なものになっていたりします。2曲目はクレジットはありませんが、サビの部分だけMES氏の歌声がコーラス的に被さっています。

Blaney氏の作る楽曲の特徴はとにかく「ベタなイメージを、ベタなまま、ストレートに音楽化している」という点にあり、どの曲も「サビでタイトルを歌う」的な90年代のJ-POPのような安易さがあります。しかしこの安易さには一切の試行錯誤すらなく、自分の個性を出そうみたいな計算すら感じられないので、聴くものは逆にそれを個性のように錯覚してしまう、という感じです。個性というより、今時ここまでベタな曲歌ってるなんてこいつらぐらいだろ、となってしまうぐらいにそのベタさに気付かされる、といった感じです。おそらくMES氏もBlaney氏のそんな気質に惚れ込んでいるのかもしれません。「混じり気のないもの」が好きなのはMES氏の音楽鑑賞における強いこだわりであり、そういう意味でたしかに純度100%の'”アレな感じ”がふんだんに盛り込まれているのがEd Blaney氏の創り出す音楽なのです。そしてそんな音楽を演奏するのが元バンド仲間であり、アルバム『Are You Are Missing Winner?』期の元The Fallメンバーたちとあってみれば、悪くなろうはずがありません。そう、このアルバムの中でおじさん達は懸命に頑張っています。だからサビで延々タイトルのフレーズを繰り返すだけの曲ばっかりだとかそういうところには固く目をつむりましょう。7曲目にいきなりそれまでの雰囲気とはがらっと違う女性ボーカル曲が始まってそれでそこまで比較的いい感じにロックンロールしていたアルバムの雰囲気が吉本新喜劇のズッコケみたいに完全に崩壊してしまったりすることなどにも目をつむりましょう。Girl Peculiar単体でアルバムを作ろうと思えるほどBlaney氏は自分の実力をわかっていないわけではないのです。そしてB面がそんな、一言で言えば「コンピレーション」的な雑多な曲の詰め合わせに堕してしまっていることにも目をつむりましょう。Blaneyのレコーディングを始める時に、10曲曲ができていなかっただけなのですから…。

 

2008年リリースのMES氏とのコラボ作は2人きりで非常に宅録的・場当たり的な雰囲気の満ちる、聴いていて「これは何なのか?」が止まらない珍作でしたが、

 

 

それに比べると本作は完全に「ロッケンロール」しており、そういう意味では非常に高く評価のできる作品だと思います。しかしBlaney氏の性向なのかついつい自分のことだけでなく、いろんなものをそこに盛り込んでしまおうとする音楽的というよりはプロデューサー、マネージャー的悪癖がアルバムの構成にまで反映されてしまっており、アルバムの収録時間が短い分、そういった構成的荒さが通して聴いた時に悪目立ちしてしまっています。しかしグレーター・マンチェスターのサルフォードという、「どこ?」みたいなところでもどっしりと根を張って音楽活動を続け、自分で音楽フェスティバルを立ち上げ自分とその周りのバンドでそれに出演し、サルフォードの音楽シーンなるものを形成しようと孤軍奮闘してきたBlaney氏のここ数年間の音楽的成果が、Yerrrr Productionsという自身のレーベルの創立、および彼の初となるソロアルバムという形で結晶したと思えば、これほど喜ばしいことはありません。Trigger Happyでの前座、ソロでのエレキギター弾き語りでの前座、Girl Peculiarというデュオでの前座、RedStarsという昔のバンド仲間で作ったバンドでの前座、そしてこのBlaneyでの前座と、常にThe Fallと関わりながらも、Blaney氏は着実にその一歩を進めてきました。偉大なるサルフォーディアンの作った偉大なるポンコツポップアルバムに日本から1人さだまさしばりの喝采を送りたいと思います。

 

P.S.「レコード盤には特別なダウンロードコードを付けるよ!」というForumの関係者の発言を鵜呑みにしてLPを予約したのですが、届いたLPは新品なのにパックされておらず、なぜかカタログナンバーのついているポスターと、メンバー全員のサインが入ったブロマイドが付いているだけでした。Forumもそのネタでプチ炎上しており、火消しなのか僕の方にもEd Blaney名義で「ダウンロードコードは明日メールで送るよ!」と連絡が来たのですが、6/14現在、何日も経っているはずなのに何の音沙汰もありません。もしかして僕は次元の狭間に吸い込まれてしまったのでしょうか?

 

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追記:この記事をフェイスブックにあげたらBlaney氏本人から直接mp3音源を送っていただけました。ありがとうございます!!!感謝!感謝!書いてみるもんだ。。

 

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フィヒテ『人間の使命』レビュー

 

 

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フィヒテの『人間の使命』(1800年出版)を読みました(岩波文庫/2016年春リクエスト復刊)。フィヒテ-ヨハン・ゴットリープ・フィヒテはロシアの革命家・アナーキストのミハエル・バクーニンがその生涯の青年期に初めて熱中した哲学者であり、『人間の使命』はそんなバクーニンが初めてロシア語訳した哲学書でもあります(間違い…訳したのは『学者の使命』みたいです)。1939年出版で文字もすべて旧字体旧仮名遣いと読みにくいことこの上ない訳書ですが、およそ1ヶ月かけてなんとか読むことができました。

感想としてはただただ晦渋という一言につき、なんといっても「疑」「知」「信」の3篇に分かれている本編の最後の章、「信」で説かれる独自の神学はキリスト教徒でもなんでもない平成生まれの日本人には「トンデモ」としか言いようがない電波スレスレの文章が飛び交っており、この人は頭悪かったのか?と心配になるほどでしたが、タイトル通り哲学の本というよりは人間がどう生きるべきかということを主題に唯心論や形而上学を語っていくという構成で、人生論として読めばここまで回りくどく説明する必要があったのかはともかく、当時の社会でどういうものが是とされてきたかがわかるというある種の空気感的なものが刻印されている書物です。

3篇を1つずつ説明していくと、まず「疑」の部分で説かれるのは決定論です。つまり身の回りのものがすべて物質だということは、それらの総量もその配置もすべて運命によって決められていて、未来はすべて今ある物質同士の相互作用によって実は厳密にあらかじめ決まっているのではないか、という話です。そこでフィヒテはそれなら人が自由に生きようとすることさえ運命の手の中にあるのだから、そうすると本質的な自由は存在しないのではないか、という疑問が投げかけられ「知」に移ります。

「知」は精霊というキャラクターとの対話編形式になっており(そういうのがやってみたかったのでしょう)、議論によって人間の認知能力を細かく分析していくことによって、人間の目に映っている世界というのはすべて「目」という感覚器官が意識に見せている映像であり、耳に聞こえる音も「耳」が意識に聴かせている音声であり、意識はそのような形でしか外界の事物に触れることしかできないから、人間にとって外界の事物とは感覚器官が見せる表象に過ぎない、という結論が導き出されます。そしてその過程で、人間が「私」を意識するのも一度私を客観化し、そこに主体という観るものを対置することによって初めて成立する、ということがわかり、これを応用して、この主=客の関係というのは人間が外界の事物を「見たり」「聞いたり」するときにも生じている、ということが明らかになります。なぜなら何かを見ているとき、それは客体であり、自分という主体に対面するものとして現れるからです。つまり何かを見ているときも、それを見ている私という意識が、そのものの意識と同時に存在しているのです。そしてそんな客体の意識も元はと言えば感覚器官が見せた外界の事物の影(夢の映像)のようなものなので、感覚器官を構成するのが自分の身体そのものであるという理屈から、”外界として表象されるもの(自分の中に現れるもの)=自分自身(身体そのものの個性(視力とか聴力など)の能力から導き出されたもの)”という答えが導き出されます。ここで精霊がどういうメッセージを伝えたかったかという点をものすごくざっくりまとめると、「ものの見方は人それぞれである(人それぞれに見ている世界がある)」ということです。え、それを言うためにそんなまどろっこしいことを延々書いてたの?と言いたくなるげんなりもげんなりな数十ページなのですが、おそらくそれが当時のこういう本の書式だったのでしょう。この人それぞれ、には単に人の性格だけでなく、性格というものを生み出す人間一人一人に固有の身体的・感官的な能力(つまり個々人の物質的な要素)も加味されているという点に注意が必要です。そこがミソです。

しかしこれで「疑」で抱いた決定論については「(フィヒテが「疑」で抱いた疑問も、”人それぞれ”の見方の一つに過ぎない、ということになるので)なんだ僕の見方が偏ってただけかぁ、ふぅ。」で済むのですが、今度は逆に、ものの見方が人それぞれなら、一体どれを信じたらいいの?という問題が発生します。知らないよーそんなの勝手に自分の頭で考えてよーという感じなのですが、ここでフィヒテ君が思ったのは、どう考えても「知」で考えたことも「疑」で考えたことも1000%間違えている気はしないので、もしかするとそれぞれもそれぞれなりに正しいところがあって、そうすると結局人が何かをどう確信するかというのは、それをどう信仰するか、あるいは信仰できないかの問題ではないか、ということです。ここから「信」篇がスタートし、熱くてたまらない「お前の信じた道を行け!!」論の18世紀バージョンが始まります。

ここで大事なのはあくまでこうして「信」でさも正解のように語られる人生論はあくまでフィヒテが信仰・確信していたものの開陳であるということです。「信」はこの本で1番長く、240pほどの本文の100pほどを占めていますが、もっぱら語られるのは当時フィヒテの称揚していたであろうキーワード、「良心の声」と「公衆道徳や倫理観に従って生きること」の圧倒的正しさです。良心の声は心の奥の衝動によってやってくる衝動的なものであり、自分でも制御できない何かの力の現れであるとフィヒテは言います。もちろん衝動的に人助けをしてもその成果が良い方向にでるか悪い方向にでるかはその時々ですが、フィヒテはそれでも、良心の発露(という自分にとっての、自分の中だけで通用する、自分だけの絶対的正しさその衝動的な)が、この世界じゃなくてもどこかで絶対反映されているはずだ、と言います。フィヒテはいいことをして報われない的なことがめちゃくちゃ許せないタイプの人だったのでしょう。そこでフィヒテは大胆にも超感性世界、感覚器官では決して捉えることのできない、地上的世界の外にある世界の存在を提唱します。この部分が本書のキモであり、最もイタいところであり、最も引いてしまうところであります。しかし分析はいたって冷静を装って続けられていきます。

フィヒテによると人間の心の奥の「良心の声」とそれを惹起させる衝動は超感性世界にある大きな意志地上的な現れで、意志だけが(意志というものは内奥からくる衝動なので、これだけは純粋に人間の身体的・精神的な構成要素に由来し、表象やそれに影響された知識・記憶ではない)外界の事物(感性世界)から切り離され、超感性世界とつながりを持つというのです。人間は良心の声に従って行為したとき、行為は物質的な動作として身体を通して現れ他の物質的存在に作用するので、良心の声に従っていないとき同様、この地上世界の中でひとまずの結果を生み出しますが、それとはまた別に、超感性世界の方でも、純粋な意志の働きの結果として(超感性世界には大きな意志しかないので意志以外に働くものも結果するものもない)何らかの要素が蓄積されていく、というのです。そしてそれは意志自体が性質として「良心」、「善意」を前提しているものの結果なので、「善」以外の何物でもないだろう、というのがフィヒテの理屈です。

だから人間が善意でやったことはこの地上でどんなおぞましい結果をもたらそうとも、超感性世界(めんどくさいのでざっくりいうと神様のいる天国ですね)では「善意」として蓄積されていくので、自分の行動をこの感性世界に合わせてコロコロ変えたり、それによって臆病になったり不自由な思いをする必要はなく、人間はこうしてこの世界に生きると同時に内なる意志に従って超感性世界でも同時に生きているように行動することによって、地上の束縛から逃れ、生きながら永遠に到達することができるのです。

 

書いてて非常にサブくなりましたが、以上がこの本の概略です。僕ははじめこの本を読み終えたときフィヒテの意図したものがわからず、何度も読み返しついには大学を卒業して以来ノートを取ってまでその意味をわかろうと試みました。しかしそうやってフィヒテの言わんとしていることが要所要所でわかればわかるほど、フィヒテが言いたかったことは哲学の思想とか汎神論とかそういうことではなく、単純に1人の思い悩む人間が自分がどうやって生きていけばいいかわからないとなったときに、それではこの世の中の周りに見えるものをすべて主観的に徹底的に考えることでその内実を明らかにし、その上で自分にとっての答えを見つけて生きていきましょうという人生論なのではないかと思えてきました。もちろんそのためにフィヒテは自分の生き方しか提供できる素材がなかったのですが、そういう「知的生き方文庫」な1冊だと思うと、最終的な結論がキリスト教万歳なのは仕方ないにしても、1人の”哲学者的人生”のモデルケースとして、非常に読み応えのある本だと思います。その世界観は説明の複雑さの割に異様なほどシンプルで、フィヒテという人の素朴さや善良さ、もとい18世紀の人々の精神的な余裕感のようなものを感じますが、きっと文化程度がある程度まで高くなると、こういう本を書いて読むぐらいしかやることがなくなってしまうのでしょう。そういう「本当は別に読まなくても知らなくても全然いい感じ」がこの時代のヘーゲルとかそういった哲学者全般の著作を分かりづらい、読みづらい、わかっても特にためにならないもの(本人たちはマジでそれが正解だと思って書いてしまっている為)にしてしまっている気がしますが、少なくともわかって、しばらくして何だ全然単純な話じゃないかと気づくまでは「すげーすげー」と興奮できる知的パズルなようなものではあるので、その興奮のためだけにもこれからもこういう誰も読まない、誰も興味がない、岩波文庫ぐらいしか出版してくれない本の存在意義はあると思います。

 

バクーニンファンとして読み応えがあったのは、本の後半で説かれる「究極の国家」という概念ついての記述です。これは地上的世界での人間の究極目的は何か、が論じられている箇所に出てくる一文なのですが、ここでフィヒテは人間が理性的な生き物であり、社会的な生活を営んでいる以上、その究極の目的は最高の国家の創生以外にありえない、というものです。たしかに人をヒトという生き物の一種だとすると、この本が出版された1800年にはダーウィンは生まれてすらいませんが、蟻が進化の過程で巣を作りすぎて蟻塚みたいなものすごい芸術的な領域まで到達してしまったように、人間も究極国家を作るのが極地点にちがいない、というのはありそうなことで、こういう箇所(+「お前の信じた道を行け!」的松岡修造イズム)が青年時代のバクーニンに与えた影響は計り知れないものがあったのではないかと思います(というかモロ..)。この究極の国家云々、というのはすぐさまフィヒテ本人によって、「でも究極の国家作ったらそのあと目的がなくなるし、維持も大変だし、そもそも人間はずっと変化していくものなのだから最高という停止した状態に滞まり得るとは思えない。」と切り捨てられているのですが(この辺りどうもフランス革命を意識してるくさい)、「良心の声に従って生きる(その結果どうなろうと知ったことではない)」をインプットされ、「究極の国家」というスローガンを見つけたバクーニンがその後どうなっていったかを考えていくとと少しぞっとするものがあります。1814年、バクーニンが生まれた年にフィヒテはこの世を去りました。

 

 

Johann_Gottlieb_Fichte

1762-1814

‘”良心”ほど恐ろしいものはない。

 

BLENDY MOTHER FATHER 15周年記念企画”Super Electoric Show 3″ @天王寺F’ireloop 6/10(金)

 

 

 

 

6/10(金)天王寺F’ireloopで開催されたライブ、

BLENDY MOTHER FATHER 15周年記念企画”Super Electoric Show 3″、

『BLENDY MOTHER FATHER VS LONE』に行ってきました。

 

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(上がLONE)

 

 

どちらも大阪をベースに活動しているバンドで、曲はそれぞれこんな感じ。。

 

 

LONE

 

 

BLENDY MOTHER FATHER

(※どちらも音源は「ASR RECORD」などで買えるみたいです)

 

 

 

 

LONEは1曲目から常に轟音ギターが響き渡り、

単に曲を演奏するだけではない、ライブとしても完成度の高い演奏、

ステージだったように思います。

LONEのライブを観るのは今日が初めてでしたが、

曲の内容こそシリアス一辺倒なものの、

間に入るMCなんかではきちっと笑いを取っており、

そこらへんのギャップが大阪のバンドなのかなあとしみじみ感じました。

BLENDY MOTHER FATHERの15周年、という企画ではあるものの、

実はこのLONEも今年で結成11年目を迎えるベテランで、

MCではバンドを結成した頃に憧れの存在だったBLENDYとこうして対バンができて嬉しい、

といった思いが滔々と語られ、新旧混ざった様々な楽曲が演奏されました。

バンドのtwitterによるとセットリストは以下の通りです。

 

1.晩鐘

2.ロジカル×テンタクル

3.テロルチョコ

mc

4.マリッジグルー

5.此岸花

mc

6.イデアの樹海

7.ピエタ

8.エンドロール

mc

9.幸福の奴隷

 

 

 

10分程度の休憩ののち、いよいよBLENDY MOTHER FATHERが登場、

こちらはガレージロックなスタイルで、終始「センキュー!!」くらいのMCで、

ガンガン演奏してガンガン盛り上げて直帰、みたいなライブでした。

一言「ガレージロックなスタイル」といっても

曲の内容は実に多彩で、おそらく作られた時期によるものなのか、

雰囲気の違う曲がいくつもあって、

それがうまくセットに織り成されている感じでとても良かったです。

 

実はBLENDY MOTHER FATHERは数年前何かの企画で一度見たことがあり、

生涯2度目のライブだったのですが、普段あまりライブに出かけないので、

奇しくも生涯一番ライブを観たバンド、になってしまいました。

前回行った時が確か結成10周年頃だったのですが、

演奏は今回より良くなっていたように思います。

 

ライブは19:30に始まり21:30少し過ぎに終了、

15周年記念企画ということもあってか場内のお客さんはほとんどが長年のファン、

関係者の方々だったようで、年齢層も様々、家族連れや外国人観光客みたいな一団もいて、

終演後の場内の雰囲気もとても賑やかでした。

BLENDY MOTHER FATHER、15周年おめでとうございます!!

 

 

 

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