日記

今日は、駅前に、

「北のお~酒場通りには~」

と歌うおじさんがいなかったので、

帰り道、駅前広場を通る時、歌声がなくて少し寂しかったけど、季節を問わず、変なジャンパーを着て、リーゼントヘアーをしている、あの変なおじさんに会わずにすんで、少しだけホッとしました。

 おじさんは、僕が小学生くらいの頃から駅前にいて、その頃は、矢沢永吉の

「オ・ブラ・ディ・オ・ブラ・ダ」

ばかりを熱唱していましたが、

当時はバックバンドもいて、

 昭和の洗濯機が発明される前に使われていたような金だらいをドラムと思って叩きまくってるおじさんのおばあさんや、ところかまわずウンコをするおじさんの飼い犬、野球少年がファールフライを窓に叩き込んでくることにブチギレ続けているおじさんの父さんなどが、全員頭に

「僕は、イタイイタイ病を告発します!環境汚染を許すな、カニクリームコロッケパン!」

と書かれたバンダナをして、フランス語でしきりにPAに指示を出していました。

 その当時PAをしていたのはロバート・レッドフォードに似たハンサムガイで、彼はバンドメンバーにフランス語で何か言われると、流暢な中国語で呂氏春秋の呉越同舟のくだりを暗誦して見せたので、その度にオーディエンスのジジババが、町内会勢揃い!といったていで、

「貧乏は敵だ!

クーラーをつけずに、自然の暑さをありのままに体感して生きよう!

クールビズ、

サマータイム、

そう、僕たちは、宇宙と一つに、

繋がっている!」

と、今時ビートルズも歌わないようなことを合唱し始めました。しかし、ロバート・レッドフォード似のPAは春秋や淮南子のことしかわからなかったので、そんな風に町内会のジジババふぜいに宇宙のことを持ち出されて騒がれても眉ひとつ動かさず、

「オー、

シャットユアファッキンマウス、

騒ガナイデクダサーイ、

今、ライブ中デース

音楽、

キイテクダサーイ」

と注意しました。

 そして、そんなふうにしばらく活動を続けていたバンドでしたが、伊丹十三が「たんぽぽ」を撮影したり、池田大作がオナニーしたり、リュック・ベッソン監督が生まれ育ったりしているうちに、夏休み小学校の校庭に一列に並んだ朝顔の花が始業式には全鉢しぼんで汚な茶色いゴミになっているように、いつしか59回に及ぶメンバーチェンジの末、ついにロバート・レッドフォードとおじさんのアコースティック・デュオにまで成り下がっていたバンドは、

「梅田の歩道橋の上でライブをすれば何か変わるかもしれない!」

「そうだ、僕たちは、宇宙と一つに、繋がっているー!」

と主張するおじさんと、淮南子の一節を未だにうまく暗誦できないロバート・レッドフォードの極度のモチベーションの低下により、地元の廃校の一室を無許可で貸し切って行われた、

「廃校貸切、ミック・ジャガーの人生相談ロック!!」

と題された、観客が『恐怖体験!アンビリーバボー』の心霊コーナーの出演以来仕事がなく食い扶持にあぶれた幽霊しか来なかったトークショー(※この時、幽霊のたたりでおじさんの飼い犬が青白いテトリスのパーツを吐いて死にました)を最後に、解散してしまったのでした。

 解散後、ロバート・レッドフォードはデロリアンに乗り、

「私ハ、北周ノ、宦官ニナリ、天子ヲ、擁立スルンダアー!!」

と言いながら、

(そのデロリアンは、本当はただの軽トラで、ただの軽トラだということを、疲れ切った表情の淮南子マニアに、言い出せる人は、誰もいなかった)

心の底で一瞬、

「アレコノデロリアン、ドアガ、ガルウィングジャ、ナイ

と思いながら、福岡行きのフェリーに正面から突っ込み、

帰らぬ人となりました。

 そして死後、おじさんが、何も知らずにローソンのチュロス代を借りようと、ロバート・レッドフォードのアパートのドアを業務用ハンマーで叩き割ると、

そこには壁一面に拙い字で

「ロック

とかけまして

パンクロックと

ときます

その心は

どちらも

内田裕也でしょう」

と血文字で書かれた習字の紙が、文鎮ごと壁に何枚も何枚も貼られていました。

その様子を見て、

おじさんは、

「この文鎮、まとめて売れば金になる!!」

と一瞬で悟りました。

 そして、文鎮をホームセンターに持って行ったおじさんは、

若いバイト店員の

「と、当店では、か、買取とかはやってないと思います。」

の一言で全ての思いを打ち砕かれ、

これまで自分がロックバンド、

「ミニミニ大作戦」

のボーカルとして

北原白秋の

「日本昔ばなしのOP曲」

を深刻に暗誦していたのも忘れて、街を彷徨う哀れな家無き子となり、約40年後の今日、たまたま町のカセット屋で流れていた

「北んのおー」

の曲を耳で聞いて覚え、以来その出だし部分だけを、今日まで、歌い続けているのでした。

 最後に、僕は、小学生の頃、当時はまだ、

「武富士のCM曲」

を熱唱していたおじさんに、一度だけ、指を包丁で執拗に刺されながら、こう、言われたことがあります。

「『我思う、

故に我あり』

と言ったのは、

ショーペンハウアー!」

デカルトだよ、

僕は血走ったおじさんの瞳を眺めながら、ちぎれ落ちた自分の指を見下ろしながら、僕自身の蒼いコギトの中で、おじさんの言葉を訂正したのでした。

日記

僕は今日、道端でひたすら小石を数えました。

小石を数えていると、ひたすらに心が落ちつき、

だんだん自分が小石なのか、マイケル・ルーカーなのかわからなくなります。

もちろん僕は、そのどちらでもないのですが。

(このセンテンスで僕が伝えたかったのは、

「僕は小石でも、マイケル・ルーカーでもない。」

ということです。)

ところで僕は今日朝バイト先へ行くときに電車で10円玉を落として拾おうとしたら拾った中学生が僕の方を振り向いてきょとんとした顔で拾ったお金を僕に渡してくれたのですがきょとんとしすぎていて中学生はお金を僕の手のひらのだいぶ上の高さからサイババが信者に砂まく時のような高さから落として再び10円はころころと電車の中を転がって行ったのでした。

僕はそうやって遠くに消えて行く10円玉に心の中でそっと「さよなら」といいました。そして頭の中ではサザンオールスターズのさよならベイビーが流れ始めましたが僕はサザンオールスターズのさよならベイビーをサビのちょっと前からしか知らなかったので頭の中に浮かぶさよならベイビーは玉音放送のSP盤みたいに途切れ途切れにしか聞こえませんでした。なので僕は頭の中に流れる玉音放送のようなさよならベイビーを聴きながらこのさよならベイビーは玉音放送みたいに聞こえるなって思いました。

それから昼ごはんは牛すじ肉とふかひれを煮込んで作ったうるめを食べました。

今日は日記はこれだけなので最後に今日考えたゲームを2つ紹介したいと思います。

1つはアーノルドシュワルツェネガァーしりとりです。

もう1つはシルベスタースタローン非しりとりです。

どちらも1人で遊ぶゲームなので、友達のいない人は是非ためしてみてください。

日記

今日は甲子園を見にボーリング場に行きました。

受付のお姉さんに靴のサイズを聞かれて、

「どうしよう、言えない、これは僕の大切な個人情報だ、知られるわけにはいかない。そういえばオウム真理教の死刑囚は13人全員死刑になったけど、林真須美はどうなったんだろう?引っ越しおばさんは?ライフスペース会長は?ビリーズブートキャンプとかやってた黒人は?みんなどこへ行ったんだろう。どこへ行ってしまったんだろう…。」

そんなことを考えて少しセンチメンタルな気分になっていると、一方甲子園では熱中症で全てのモグラと全てネズミと全ての8号門クラブ会員が死んで、”甲子園カレー”を炊いている鍋から、

『アアアアァー』

とサイレンの音が鳴っていました。

しかしボーリング場の僕はそんなこと知る由もありません。

とりあえず靴のサイズを知られるのが絶対嫌だった僕は、お姉さんの話を必死にはぐらかそうと、お腹の痛いふりや、アメリカンバッファローに襲われた人のモノマネをしたりしてその場をやり過ごそうとしました。

するとなんとか「常日頃から下駄を履いてるというより買ったことに満足して下足箱に飾ってそうな気がするからオーケー。」と謎の許可をもらい、レーンに案内されたのですが、次に待っていたのはデカデカとポンド数が書かれたボーリング球でした。

もちろんボーリングの球の重さも知られるわけにはいきません。しかもここはボーリング場、あちこちに監視カメラがしかけてあり、隣で仲間の誕生日パーティーみたいなのをやってるダッサい大学生たちの視線もあります。1個手に取っただけでマイナンバーカードの裏になんと書かれるかたまったものではありません。

僕は慌てて受付のお姉さんのもとに駆け寄り、

「すみません、黄色のマッキーはありますか!?」

と息を切らせて尋ねました。するとお姉さんは何かわかったような目配せをし、咳をしながら最寄りのコンビニへの道を教えてくれたので、僕はお姉さんに一礼してから、ポケットに入っていた、子どもの頃おじいちゃんにもらった気がするカンロ飴を一粒あげました。

そして街へ飛び出した瞬間、街はそれまでと様子を一変していました。そう、そうです。なぜなら今日は甲子園の日だったからです。そうなんです。今日は甲子園の日だったんですよ。日本中で一番警察の人が忙しくなるといわれる日でおなじみの甲子園の日です。街は放水車と火炎、他人のボーリングの球の重さを見ようとするギャング達で溢れ、僕がいこうとしたコンビニは黄色のマッキーを求める人たちでごった返していました。

そして、その時です。

不意に、街中のスピーカーがプツリと放送をやめたかと思うと、くぐもったおじさんの声がゆっくりと流れ始めました。おじさんは最初、ゆっくりとカーペンターズのイエスタデイ・ワンス・モアを歌ったあと、僕たちに向けこう言ったのです。

『今日の…都立うんち小学校と…私立ハイエロファント高校の試合は…中止となりました…繰り返します…今日の…私立なんとかかんとか高校と…都立なんとかかんとか小学校の試合は…ボーリングの球の重さを見ようとする人たちの暴動により…中止となりました…カンロ飴…トクベツ…トクベツ…ヴェルターズ・オリジナル…繰り返します…』

おっさんの放送は3年くらい続きました。

僕は高校生が小学生と卓球で対決するなどあってはならない、と思いました。

日記


今日は

レーガン大統領と食事に行きました。

サイゼリヤに入ると、レーガン大統領はさっそくシャンパンを頼もうとしたので、

僕はレーガン大統領に、

「レーガンさん、サイゼリヤにシャンパンはありませんよ。」

と言いました。

すると、レーガン大統領は僕の言ってることがわかったのかわからなかったのか、

「オーケー、オーケー。」

と言って、今度は“ブルターニュ地方のワイン”を頼もうとしました。

なのでまた僕は、レーガン大統領に

「レーガンさん、サイゼリヤに”ブルターニュ地方のワイン”はありませんよ。」

と言わねばなりませんでした。

すると、レーガン大統領は拗ねてしまい、

サイゼリヤの店員さんを呼ぶボタンを高橋名人の16連射するときみたいに押し始めたので、

これは個人の問題かな、と思い僕は注意しませんでした。

僕とレーガン大統領はサイゼリヤで王将定食とココナッツミルクパウダーを食べ、顔中粉まみれになって、それぞれ河川敷の段ボールハウスに帰りました。

帰ってから増水に備え、土手に穴掘るビーバーさんの真似をしながら、家の周りに簡易的な泥の堤防を作っていたら、中学生がライターで僕の家を焼いていました。

青空の下、ライターの火にあぶられ、メラメラと燃え上がる家を眺めながら、なぜか僕の頭の中には一青窈の「もらい泣き」が流れていました。

今晩はレーガン大統領のホワイトハウスに泊めてもらおうと思います。

2人分のスペースが、あれば良いのですが。